G・K・ヒラバヤシさん 日系米人の戦時収容問題で勝訴=1986年3月

米国連邦シアトル地裁、第2次大戦中の判決は無効とする

「私が誇りにする米国の憲法が守られたことに満足だ。憲法の運用者は時に誤りを起こすが、憲法は公正で素晴らしいものだ」
英語と日本語をとりまぜて、静かに語る。44年の歳月が、当時22歳の大学生の怒りを透明なものに変えたのだろうか。

戦時中の日系アメリカ人強制移動は不必要との判断

このほど、米国連邦シアトル地裁は、第2次大戦中の日系アメリカ人の強制移動は不必要だったとして、当時、強制収容は不当だと夜間外出禁止令を無視したヒラバヤシ青年を有罪にし終戦まで刑務所に入れた当時の判決は無効だ、とする判決を出した。

差別を禁じた憲法に抵触

血筋や宗教の違いで差別するのを禁じた憲法に触れるとの判断からだ。

支えたのは、白人の大学人、クエーカー教徒

「1942年3月の夜、抗議のため外出して捕まった。1000人の日系人が、同じ行為に出ると思ったが、結局、私ひとりだった」。正義感が強い青年を支えたのは、白人の大学人、クエーカー教徒だった。

再審請求と逆転判決の決め手

再審請求と逆転判決の決め手となった陸軍西部軍司令官の進言書「よいジャップも、悪いジャップも見分けがつかぬ。まとめて強制収容すべし」をワシントンの公文書館で4年前、探し当てたのも、白人弁護士たちだった。

社会学の道へ進む

戦後は第3世界の開発や少数民族問題への目を開き、社会学の道へ。

無教会派のキリスト者だった両親

米国人以上に米国人らしいが、「長野・安曇野の農民だった父母と、その両親が無教会派のキリスト者だったのが、私をつくった」と日本への愛も深い。

米国とカナダの日系人に希望

米国とカナダの日系人は、いまも両国政府の謝罪と損害賠償を求めてやまない。ヒラバヤシ勝訴は、その運動にはずみをつける。

日系人だけではなく、少数派アメリカ人の勝訴

「単に日系人の勝訴ではない。少数派アメリカ人に2度と、あんなことが起こらない歯止めができたことなのだ、と日本の方は分かるかな」と講義調にいった。

Gordon・K・Hirabayashi

ワシントン州シアトル市生まれ。ワシントン大卒後、ベイルート、カイロの大学で調査、研究。1959年からカナダ北西部のエドモントン大学へ、社会学学部長も。65歳。

FBI捜査官殺しの汚名14年 インディアン活動家に再審の厚い壁/カナダ=1989年7月

アメリカン・インディアン運動活動家の再審請求、カナダ連邦最高裁により棄却

米政府と対立の「影」

米連邦捜査局(FBI)捜査官の射殺犯として、米国内で服役中のアメリカン・インディアン運動(AIM)活動家レナード・ペルティエが、カナダ司法当局に出していた再審請求が先月22日、カナダ連邦最高裁により棄却された。請求は、逃亡中だったペルティエの身柄を逮捕し、米国に引き渡した措置の無効性を立証し、米、加両国での再審の道を開くことを狙っていた。裁判闘争の背後にはインディアンの権利回復運動と米政府の対立が影を落としている。

事件の経緯
米ノースダコタ州パインリッジの居留地で発生

「ペルティエ事件」は、さる1975年6月26日、その2年前のやはりインディアン運動活動家による有名な占拠、銃撃事件の舞台ウンディッドニーにほど近い同じ居留地、米ノースダコタ州パインリッジのオグララで起こった。

FBIは、インディアン側が発砲し、銃撃戦になったと主張

FBIによれば、同日午前、傷害・窃盗事件でインディアン、ジミー・イーグルを逮捕に向かったFBI捜査官ジャック・コーラーとロナルド・ウィリアムスに、インディアン側が正午前、発砲し、銃撃戦になり、傷ついた2人にペルティエが至近距離からとどめを刺したという。

インディアン側は、FBIが銃撃を始めたため自己防衛から反撃と主張

インディアン側によれば、FBI側が銃撃を始め、インディアン側は自己防衛から反撃、初めは農家に立てこもり、その後、逃げながら、断続的に銃撃戦が続いた。とにかく、正午過ぎ、傷ついた2捜査官は、近づいたインディアンに至近距離から撃たれ、死亡した。

ペルティエの言い分

ペルティエによれば、彼は初め農家の中におらず、銃声を聞いて駆け付け、銃撃戦に加わった。その後、彼は、仲間と包囲網を抜け、脱出した。至近距離からFBI2人を撃っていないとしている。

FBI、4人を射殺犯として手配するもペルティエ以外の3人は無罪、不起訴に
ペルティエは終身刑

FBIは、ペルティエを含む4人を射殺犯として手配した。ペルティエはカナダに逃れたが、翌1976年2月、逮捕され、米国への引き渡し裁判にかけられ、同年12月、引き渡された。他の2人はこの間、正当防衛で無罪となり、残り1人も、証拠不十分で不起訴。ペルティエだけが1977年4月、犯人とされ、終身刑となった。

証言・鑑定に疑問続出

身柄引き渡しの根拠となった証言は後に覆される
証言能力自体も問われる

身柄引き渡しの根拠となったのは、自称ペルティエのガールフレンド、プア・ベアの「私は現場にいて、ペルティエが2人を撃つのを見た」という証言だった。だが、後に、彼女はFBIに「私は現場にいなかった」と証言を覆していたことがわかった。彼女が精神病患者で入院歴があることもわかり、その証言能力自体も問われた。

FBI鑑定にも重大な疑問

裁判全体から見れば、至近距離から頭を撃った弾がペルティエのライフル銃からのものとするFBI鑑定にも、重大な疑問が呈されている。同鑑定を否定する別のFBI報告が出ていたが、これは裁判には出されなかった。

再審請求は一貫して退けられる

ペルティエ側は、判決後、情報公開法によって得た新たな証拠を基に、冤(えん)罪事件として再審を求めてきたが、一貫して退けられてきた。

カナダに限定して再審請求
引き渡しの証拠となった証言が信憑性を失ったため

事件をカナダに限定すれば、引き渡しの証拠となった証言が信憑(しんぴょう)性を失った以上、引き渡しの合法性、法の正義が問われるし、ペルティエの無罪にもつながる。そこで、今回の再審請求となっていた。

カナダ側弁護団、ペルティエをカナダへ連れ戻すことを目指すも

カナダ側弁護団は、新証言を審理し、引き渡し自体を無効とし、ペルティエをカナダへ連れ戻すことをねらっていた。一方、米弁護士筋は、過去13年間カンザスの刑務所で服役中のペルティエが解放されるはずがないとし、むしろカナダ連邦最高裁が、新証拠を吟味することをテコに、米裁判所に、新証拠の重要性を証明、再審を開始させる圧力として使おうとしていたようだ。

米内務省インディアン局(BIA)と、これに従う部族協議会(TC)
アメリカン・インディアン運動(AIM)と摩擦

事件の背後には、インディアンの保護のために作られながら、インディアンの利益に反した米内務省インディアン局(BIA)と、これに従う部族協議会(TC)に反対、インディアンの権利を高く掲げるAIMとの摩擦があった。TCは、BIAが部族統治のために作った統治機関で、伝統的部族指導者を排除、このため、インディアンからは、米政府の御用機関、傀儡(かいらい)組織と見られてきた。

AIM
自警団から原住民の権利、土地の保護を目指す団体へ

AIMは、1968年、ミネアポリスで、アル中のインディアンが警察に逮捕されるのを防ぐ自警団として出発、原住民の権利、土地の保護を目指す団体に発展した。

事件当時はTCとAIMが対立

チップワ・インディアンにフランス人の血が入った父とスー族の母から、1944年に生まれたペルティエは、1970年にAIMに加盟、アル中相談員から、指導者になった。事件当時は、TCの私兵とも言える警察力「グーンズ」とペルティエらAIMメンバーが対立、一触即発の状態にあった。FBIがペルティエをねらっていたとも言える状況だった。

支援の輪世界的に

宗教人や国会議員が再審を支持

こうした背景、さらには証拠の捏造(ねつぞう)、新証拠が出ても米司法当局は再審を許さないことから、デスモンド・ツツ大主教、ジェシー・ジャクソン師ら宗教人、米下院議員50人、アムネスティ・インターナショナル、カナダではウォーレン・オールマンド元検事次長や国会議員約60人が再審、あるいは引き渡しに関する再審理を支持している。

米国の政治犯として国際的に注目される

さらに、米国に政治犯の人権問題で責められてきたソ連は、ペルティエを政治犯と見なし、獄中に医師を送って健康診断を行った。昨春のモスクワ・サミットの際には、米人弁護士、インディアンがモスクワに出かけ、訴えたことから、米国の政治犯として国際的に注目を浴びている。

米州機構(OAS)人権委員会、国連人権委員会などへ訴える予定

弁護団は今後、米国内でさらに新証拠を見つけ、再審を求めるほか、米州機構(OAS)人権委員会、国連人権委員会などへ、救済を訴えるとしている。

ハーグ条約関連法成立 子供へ配慮 手探り=2013年6月

ハーグ条約加盟後の国内手続きを定めた関連法が成立

政府は年度内の条約発効を目指す

国際結婚が破綻した際の子どもの扱いを定めたハーグ条約加盟後の国内手続きを定めた関連法が12日、参院で可決、成立した。条約加盟は5月に国会で承認されており、政府は年度内の条約発効を目指す。今後、実際の運用に向け、関係機関の体制整備が急がれるが、子どもへの配慮などの課題が残る。

「裁判→強制引き離し」負担

審理
「子どもの心身に害悪がある」場合は返還拒否が可能

関連法では「子どもの心身に害悪がある」場合は返還を拒否できるなどと定め、外国にいる親から子どもの返還が申し立てられても、子どもが暴力を受ける恐れがあるなどの場合は、返還の可否を考慮することが明記された。

子どもの本心をいかに引き出すかが課題

申し立てを受け、審理するのは東京、大阪両家裁。関連法は子ども本人が拒む場合は返還を拒否できるとも規定するが、両家裁が直面するのは子どもの本心をいかに引き出すかという課題だ。子どもが日本語に不自由な場合は通訳を介し心情を聞くことになり、さらなる困難も予想される。

家裁調査官が自宅に出向くことも検討
子どもの心理的負担を取り除くため

また、遠方の裁判所に子どもを呼び出すことは子どもの心理的負担となりうるため、家裁調査官が自宅に出向くことも検討されている。最高裁家庭局は「言葉だけでなく、反応やしぐさなどを含めて多角的に調査し、子どもの本心をくみ取るよう努める」と話す。

返還命令に応じない場合

一方、返還命令に連れ帰った側が応じない場合、申し立てに基づき家裁が一定額の金銭支払いを命じて返還を促すが、それでも従わなければ、地裁の執行官が強制的に子どもを引き離さざるを得なくなる。

強制執行時の懸念

これについて関連法は、子が親と一緒にいる時を条件とした。ただこれだけでは不十分との懸念もあり、最高裁は近く〈1〉親が子を抱きしめている場合は強引に引き離さない〈2〉子どもが拒絶したら無理やり連れて行かない〈3〉自宅以外の場所での執行は避ける--などの注意点を全国の地裁に通知する予定だ。

国際家事調停
返還決定後も、子どもが戻った国でまた裁判が必要

裁判で返還が決まっても、子どもの養育や面会交流については、子どもが戻った国でまた裁判が必要になる。子どもの負担を減らすためには、「返還の裁判になる前に、民間の調停で、子どもの養育全般について友好的に解決した方がいい」と、この問題に詳しい小原望弁護士は指摘する。

当事者が話し合える仕組みの整備が急務

条約では、加盟国に、当事者間の友好的解決を促進するよう定めており、国内関連法でも、外務省が必要な措置をとると規定した。英国や米国などには、ハーグ条約に対応する「国際家事調停」の機関があるが、日本にはない。当事者が話し合える仕組みの整備が急務だ。

日本仲裁人協会のプロジェクトチーム
国際家事調停を試験的に実施

弁護士などでつくる日本仲裁人協会(東京)のプロジェクトチームは昨年、国際家事調停を試験的に実施した。

英国人の夫から子どもとの面会を求められていたケース

英国から子を連れて西日本の実家に戻った30歳代の女性が、英国人の夫から子どもとの面会を求められていたケース。夫は英国の民間調停機関「リユナイト」に調停を委託し、女性側は同協会の弁護士が調停人になった。父母と調停人を国際電話で結んで調停を行い、夏休みに子どもを2週間ほど英国に滞在させることが取り決められた。実際に子どもたちは父親の費用で渡航、滞在した。

東京弁護士会や、公益社団法人総合紛争解決センター
調停人の確保など、準備を進める

外務省は、弁護士会などがつくる紛争解決センターに業務を委託することを検討している。東京弁護士会や、公益社団法人総合紛争解決センター(大阪市)では、調停人の確保などの準備を進めている。

外務省と関係機関の連携強化が必要

子どもや親の支援をするため、外務省と関係機関が連携を強化する必要がある。

虐待 欧米と考え方に違い

ハーグ条約に日本が加盟しても、効果はあまり期待できない
米国議会調査局のリポート

米国議会の調査局が5月に発表した日米関係のリポートでは、「ハーグ条約に日本が加盟しても、効果はあまり期待できない」とする意見が紹介されている。背景には、親権や虐待に対する考え方の違いがある。

「単独親権」と「共同親権」

まず日本では、離婚後、父母のどちらかが親権を持つ「単独親権」制度になっており、親権のない親と子の交流がないことは珍しくない。一方、欧米では元夫婦が養育費や定期的な面会について取り決め、離婚後も共同で子育てをする「共同親権」制度が一般的だ。

夫婦間の暴力の定義
子どもへの虐待とはみなさない国が多い

また、日本の児童虐待防止法は、子どもの目の前で家族に暴力を振るうことを、子どもへの心理的虐待と定義している。ハーグ条約関連法でも、返還拒否理由となる。だが、加盟国の中には、夫婦間の暴力があっても、子どもへの虐待とはみなさない国が多い。日本の考えが理解されない可能性があるが、子どもを守る対応が求められる。

ハーグ条約

欧米を中心に89か国が加盟
主要8か国(G8)で日本だけが未加盟

1980年にオランダのハーグ国際私法会議で採択され、1983年に発効した「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」。加盟国間では、一方の親が16歳未満の子どもを無断で国外に連れ去った場合に、原則、元の国に子どもを戻す。欧米を中心に89か国が加盟しており、主要8か国(G8)で日本だけが未加盟だった。

国会提出の動き 親子断絶防止法案 離婚後の面会=2016年12月

超党派の議員連盟が、離婚後の親子の面会を促す「親子断絶防止法案」(仮称)の国会提出を目指し作業を進めている。別居後も子どもと会いたいと願う親は法制化に期待するが、ドメスティックバイオレンス(DV)被害者らは、加害者との面会が子どもの心身を脅かしかねないと反対、どちらが子どものためなのかを巡り対立している。

賛否 離婚後の面会 子どものため?

両親の愛情 受けるべきだ

反対派 作成中の法案は、口約束で済ませる例も多い離婚後の親子の面会や養育費について、離婚時に書面で明確化するのが柱となっている。DVなどがあった場合、面会の見合わせも含めた「特別の配慮」をすることも盛り込まれる方向だ。

面会交流を求める親らの団体「親子ネット」は「夫婦の別れが親子の別れになるのはおかしい。法律で面会基準を定め、子どもが両親の愛情を速やかに受けられるようにすべきだ」と訴える。

賛成派 面前DV 心身回復揺らぐ 反対派

一方、DV被害者の支援団体が集まった「全国女性シェルターネット」の近藤恵子理事は「法案によって面会が既定路線になると、子どもの心身の回復と安全が揺らいでしまう」と話す。

子どもは直接暴力を振るわれなくても、夫婦間の暴力を見たり暴言を聞いたりする「面前DV」によってダメージを受ける場合がある。DVを受けた親と一緒に保護された子は、別居する親との面会後、自傷行為や不眠など心身に不調をきたすことも多いという。

加害者が面会で子どもに保育園の名前などを聞いて居所を探り出し、被害者らを強引に連れ戻すリスクも懸念される。反対派は国会内で集会を開くなどして、議員らへの働き掛けを強めている。

厚生労働省の推計によると、2015年の婚姻件数は63万5000件、離婚が22万5000件。離婚は珍しくなくなり、親権や面会などで調整が必要になるケースも増えた。だが調停に当たる家裁の態勢は十分ではないとの見方もある。

議連は、各党の了承を得て早期に法案を提出する方針。ただ、法案への賛否は、それぞれの家族観などによって異なる上、面会が子どもに与える影響も個々の家庭で違い、意見集約は簡単ではない。